今回は小学校の教師から民間企業への転職事例を紹介します。
教師の仕事はつぶしがきかず、転職が難しいと言われていますが、同業他社はもちろん、別業種であっても教師のスキルを活かして自分なりの選択をしている先生が多いです。
小学校教師からの成功例
ではさっそく実例を紹介していきたいと思います。多くの転職理由は教員同士の人間関係と、閉ざされた世界観に嫌気をさしたというものが多く、また転職して後悔しているようには思えませんでした。
- 医療機関
- 郵便局員
- IT業界
- 塾講師
- 書店員
- 保険会社
- 競技団体
7人の例がでました。
1言語聴覚士として医療育機関へ転職
小学校教員から別業界へ転職しました.小学校教員ですが、「ことばの教室」で発達障害や学習障害のお子様の療育に携わる機会がありました。
そこで、医療業界の言語聴覚士という言葉に特化した専門職の資格を取り、言語聴覚士として子供の療育の仕事をやってみたいと思い、小学校教員を辞めて言語聴覚士養成校へ入学、その後に対象施設で実習を経験、国家試験を受けました。
その後、無事に言語聴覚士免許を取り、小児に特化した療育機関へと入職した流れです。
年収はやはり小学校教員に比べると低いですが、自分なりにやりがいを持ち、周りの同僚との調和も図っており円滑仕事をできています。。勤務体系は日勤の勤務で教員の時とあまり変わらないです。
面接対策
面接で聞かれたことに関しては、なんで小学校教員を辞めて言語聴覚士の資格を取ろうと思ったのか?今までの経歴についてや家族構成、小児の療育で何をやりたいのか等です。
特に業界は別ですが、連携する分野なので特に抵抗感はなく面接が進み、採用が決まりました。
今後転職する人へのアドバイスは、今までの経験や培ってきたことをどう次の業界で活かせるかということを明確に面接官へ伝えられるかが重要だと思います。
特に教員の経験はかなり希少なのでそこを強みにできればと思います。
2 結婚後に郵便局職員に転職
小学校の先生をしていましたが、最初の主人とは大学の同級生で同士、結婚して九州に嫁ぎましたが、死別離婚しています。
2人とも同じ学部同じ部活でした。最初は嫁ぎ先がご主人が神主だったのでご主人の仕事を手伝いながら、いずれは小学校教師に就きたいと思い、ボランティアで近所の小中学生に勉強を教えていました。
しかし結婚して5年目にご主人が亡くなり、今後子供達と生活することを考えて地元の東海地区に戻ってきました。
シングルマザーとして養う為に、教員人材バンクに登録して1ヶ月後、通勤時間1時間かかりますが、常勤講師として5年間小学校教員として働きました。
子供達は実父母に預けながら働いて5年目、地元の同級生と再婚しました。再婚後は郵便局に転職して働きましたが、同僚で教員勤務した方がいるので楽しく働けました。
面接対策
郵便局の仕分けパートとして働いた時はシングルマザーではなく再婚してご主人がいましたが、本局勤務で通勤時間は自宅から徒歩5分が就職先の決め手でした。
「最初の結婚では地元を離れて寂しかったので、地元で仕事がしたい、地域の皆様はもちろん、来局者お一人お一人が楽しい気持ちになってほしいです」と正直に伝えました
死別離婚してシングルマザーになり2人の子供達に寂しい思いをさせてしまったこと、今の主人に出会い辛い時を私と子供達を支えてくれたこと、主人に出会えたからこそ、家族を大切にしたいし、仕事も頑張りたい気持ちも伝えました。
小学校教員として働いていた経験から、小さな子供さんも、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんにも優しく声かけできるのが強みであることをPRしました。
3 府立小学校教師からIT業界に転職
私は、府立の小学校からIT業界に転職しました。辞めたきっかけは、仕事量が給料と合っていないなと感じたからです。
小学校の先生は、中学校や高校の先生と違い、教科ごとの担当ではなく、大半の教科を担当しなくてはいけないので、非常に勉強することが多く、また、親御さんのクレームなどの処理や遠足などの予定・管理もしないといけないので、非常に大変でした。
実際に働いてみて、小学校の先生がここまでの仕事量と大変さがあるとは思いませんでした。私の場合、年収は、350万円程度です。
勤務体系は、朝から晩遅くまで仕事をしていました。
人間関係は、多くの先生がいたので、性格は様々ですが、私が在籍していた学校の先生の人間関係は比較的良好で、助け合い等もできていたと感じました。
IT業界は小学校とは真逆で自由にのびのびと仕事ができる感じです。残業代も当たり前のように出て定時退社というのが未だに信じられません・・。
面接対策
私が、IT業界に転職した際に、面接で聞かれた質問は、「なぜIT業界に進もうとしたのか」・「学校の先生は、比較的安定しているし、人手不足なので、重宝されると思うのですが、なぜ辞めて転職しようとしたのか」ということです。
私の場合、ITの知識がワードとエクセルとパワーポイントのようなソフトの操作知識しかないので、「これからIT業界で様々な言語を覚えていかないといけないので、対応できますか」等の質問をされました。
そこで、私は、学校の先生をしていたことから、新しく何かを学ぶことは得意ですし、子供に勉強を教えていたので、説明をするのも比較的得意だということをPRしました。
今後転職をする人に対しては、どの仕事でもPRポイントはあるので、しっかりと説明することや早めに動くことが重要だとアドバイスしたいです。
4 塾講師に転職
小学校の先生から塾の先生に転職しました。辞めたのはモンスターペアレントの影響で今の職場では勉強を教えることだけの仕事なのでとても働きやすい環境です。
年収は年間で考えると少し減ったと感じましたが満足度が高いのでとくに影響はないです。人間関係は以前よりなくて、気軽に働けると感じています。
コミュニケーションが苦手な私からするととても嬉しかったです。塾の業界は先生間の距離や生徒との距離が近くなく、干渉されるようなことはないし、飲み会なども特にありませんでした。
新年会や忘年会もあったようですが参加不参加はとくになく来たい人だけ行くような感じだったので正月も気楽に過ごせたし、とてもいい年越しをできました。
面接でPRしたこと
得意な教科などを聞かれたことは覚えています。私は昔から数学が得意で中学三年生の難しくなっていくあたりの数学を教えることに関してはとても得意だと感じており、それをPRしました。
私からのアドバイスとしますと、得意なものや、特技、人生経験をどれだけ持っているかが大事だと思います。
自分の中に芯があって、自分の人生の帰路や分岐点でどのような選択をできるのか、あるいは困難を進んでいくのか、そのような場面をどれだけ掻い潜ってきたのかも大事だと思います。
結局は小手先のことだけの人間だということは見破られてしますと思います。
ですので自分もいう人間の歴史を遡って考えてみると新しいものが見えてくるのではないでしょうか。
5 教員から書店員に転職
九州地方の公立小学校に勤務していました。私の実家が九州地方にあり、実家から通える公立小学校に通勤していました。
辞めたきっかけは、教職員が加入する労働組合から脱退する希望を出したことです。それ以来、同僚や先輩の教師から、嫌がらせを受けたり、児童への指導方針について相談しても無視されるなどの態度をとられてしまい、教師という職業に嫌気がさして辞めてしまいました。
退職と同時に、東京に出ました。そして、教諭しか経験のない自分でも働くことができる大手書店に入社し、販売員として働くことにしたのです。
教師を辞めたときの年齢は20代後半でしたので、年収は470万円程度でした。勤務体系は、平日勤務で休日は休みでした。
一方、東京の書店に移ってからは、年収は450万円程度に減少しました。東京は家賃が高かったため、日常生活では節約を強いられ大変でした。
なお、書店は年中無休のため、シフト勤務となっていました。
土日のいずれか1日休んで、さらに平日に1日休む形です。また、早番と遅番というシフトもありました。書店は午前10時から午後8時まで開いているため、2交代制となっていました。
人間関係の違いという点では、教師時代のほうが上下関係は厳格でした。公務員だったためという要因が挙げられます。また、教師時代は政治思想的な窮屈さがあり、きわめて不自由な思いをさせられました。
民間企業の書店に移ってからは、上司と部下の関係でもフランクに会話ができて、リラックスした気持ちで働くことができました。
もちろん誰がどのような政治思想を持っているかなど、誰も気にしないため自由な人間関係のなかで働くことができて、嬉しい気持ちでいっぱいでした。
面接対策
面接官は2名いましたが、2人ともこの2点にこだわりました。私は、労働組合からの脱退の件と、私が勤務していた自治体の政治風土の特徴を述べて、とにかく脱出したかったことを説明しました。
そして、自己PRとしては、教師としての仕事はしっかりと果たしてきたことを述べました。
翌日の授業の内容を整理し、必要なプリントを作成する作業を深夜までおこなったことを説明しました。
また、児童たちの人間関係に亀裂が見られると、すみやかに調停に入り、いじめ問題に発展しないよう努めたこともPRしました。
自分の長所は、なんとしても仕事をやりぬく責任感と、人間関係に破綻を作ってはならないと思う使命感だとPRし、面接官からも認められたのだと認識しています。
今後、教師の仕事から民間へ転職したいと考えている人へは、自分のありのままの姿を説明し、長所をPRすれば民間企業の人たちはしっかりと自分を受け止めてくれるのだということをアドバイスしたいと思います。
全力で仕事に取り組む人間を、民間企業は評価してくれます。頑張ってください。
6 保険会社に転職
小学校の教師から保険会社の営業に転職しました。
辞めたきっかけは、職場での人間関係です。教師同士が仲が悪くて、また生徒との信頼関係を気づくことができずにストレスで鬱に近い状態に陥ってしまい休職していました。
そこで友人に相談したところ、わたしが働いている保険会社に来たらと誘いを受けました。また、人間関係で悩むのではないか、営業のノルマがきついのではないかと、いろいろ不安はありましたが、職場内の雰囲気はとても良くノルマもないからあまりストレスなく働くことができると伝えられて思い切って転職しました。
働いてみて、上司はとても部下思いでありわからないことがあれば親切丁寧に教えてくださりました。
また研修も多く実施していて、仕事に対する不安やストレスはまったく感じることなく働くことができています。年収は教員をしていたころより上がりました。
面接対策
友人の紹介ということもあり、それほど堅苦しい面接ではありませんでした。前職を退職した理由、またこの会社で働く上での自分なりの目標について聞かれました。
わたし自身誰に対しても明るく振る舞うことができ、また相手の立場に立って物事を考え、それに対して行動することができることを自己PRで伝えました。
それは必ず営業としての仕事に活かすことができると話をしました。
今後転職をしようと考えている方に伝えたいこととしては、まず転職先で自分がどのような位置で、またどのようにして働いていきたいのかを明確にすることがとても大切だと感じました。
ただ興味があるから転職したい、資格を活かして働きたいとかの内容が薄く軽い気持ちで転職先を選ぶと失敗してしまいます。仮にその会社に入ることができても長続きすることがないと思います。
7 競技団体へと就職
公立小学校からスポーツマーケティング業界、そして競技団体へと転職しました。
辞めたきっかけは文部科学省の限界です。
どの業界もそうですが、現場が見えていない理想を描くだけのお役所とのギャップが大きすぎて見切りをつけました。
また、現場のお局さんの理不尽な嫌がらせに、やりがいが下回ったからです。
スポーツマーケティングの会社では給与はさほど変わりませんし勤務体制もあまり変わりませんでした。でも、現場に近いことをしながらさらに視野を広げて働けたことでやりがいが上回りました。
夢を語るだけではなく実行する人、一流企業経験者がいたため、学ぶことが多かったです。
さらに競技団体に転職したのは、給与面が安定したからです。な勤務体制はこれまで同様にあってないようなもので、休みは不定期ですが、満足行ってはいないものの、好きなことに関わりつつ最低限の保証はあります。
実際に学校業界から転職してみて、1番感じることは学校業界古さと狭さです。パソコンスキル一つを取っても、例えばcc機能を知らなかったり、署名をつけることもしません。
外部とのやりとりは無礼です。
囲われた中にいるので、新たな発想が乏しい人が多いように感じましたし、長年の文化に疑問を抱くことの方がおかしい人、という扱いを受けますが、そのほかの業界は次々と、過去をよくして行きアップデートして行きます。常に自分が学んでいないとおいていかれます。
面接対策
実は声をかけられたので形式ばった転職活動はしていません。
素直に、そこで学んだことと、転職先でやりたいことを自分の経験に繋げて話せば、それが決して成功例や直接的なことでなくても考えが伝わると思います。
学校業界での経験が特別役に立つことといえば、備品管理に関しても固有名詞や宗教対策です。
新しいものを購入するのに、たとえペン一本でも最後の購入履歴から辿ったら裏紙を使用したり、コピー機と印刷機をつかい分けていた経験は、一般企業での総務(コストカット面)で役に立ちます。
また固有名詞の漢字表記への意識が一般企業は薄いので広報部でも役に立つでしょう。
また公立学校だと宗教に特化したイベントに最深の注意を払っており、まあ伝統行事を重んじていたので、イベントを企画する際にはむしろ斬新かもしれません。
気軽にどうぞ♪