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中学教師からの転職先を7つ紹介!辞めた理由と面接対策

中学校の教師は教員の中でも最も激務な仕事の一つです。部活・高校受験・保護者対応に授業が加わります。

高学年になってくると生徒の体力も就いており、思春期の学生に対応するのは一苦労。政府のデーターを見て最も病気休職者が高くなっており、その仕事の厳しさがうかがえます。

文部科学省平成30年度病気休業者より

転職アンケートを取ってみましたが、職場関係よりも仕事のきつさを原因に辞めていく人が多いと感じます。

今回は中学教師が転職してその後どんな人生を歩んでいるのかお伝えします。

目次

中学教師に聞いた民間企業への転職先

主な転職の原因は以下の通り

  • 担任の責任の重さ
  • 部活や課外活動の多さ
  • いじめ対応、保護者との軋轢

細かく言えばきりがないですが、とにかく猛烈に忙しく、人間関係も大変だということですね!そんな中でも第二の人生を切り開いた先生たちの声をまとめました。

1、縦社会と残業に嫌気をさして社会科教師から運輸業界に転職

大学二年生の時に、「安定しているから」。たったそれだけの理由で教員になる事を決意しました。その後、無事に地元から比較的近い中学校に地方公務員として採用。最初はやる気満々で意気込んで挑んだのですが・・

実際に働いてみると、「中学校の先生は楽だろう」なんて思っていたものとは全く違いました。完全にナメてかかっていました。

学校は完全な縦社会。若造の意見など反映される訳もなく・・それどころか、学校生活で必ずつきまとう、部下の顧問や学校行事の雑用を押し付けられる始末。

自分でもやなないといけない、テストの準備や採点、授業で使う資料の整理など、業務範囲が広すぎて、てんてこまい。

当然、勤務時間内に全てを済ますことは無理だったので、残業は当たり前。平時で3時間、学校行事が重なった時には5時間の残業も当たり前でした。

もちろん残業代はつきません。年収にして350万円前後で、とてもじゃないが割に合いません。更には仕事を休日に持ち越すことも・・やっとの休日でも、公務員と言う十字架が邪魔をして、思いっきり羽を伸ばすこともできなくて・・

気がつくと、自宅と学校の往復。会う人も学校のベテラン教師やクレームを入れてくる保護者だけ。

決して、子供達に勉強を教えることが嫌になったわけではありますんが、「仕事としてはどうなの?」と思い、23から26歳まで社会科の教員として教壇に立ちましたが、退職を決意し、運輸業界に転職しました。

面接対策

転職活動中は、「教員を辞めた理由は何か不祥事でもおこしたのか?ビジネスの経験が全くない、頭が固い」など、苦戦を想像していました。

面接に行く度に「なぜ教員をお辞めになられたのですか?」とそこにクローズアップされて質問されるんだろうと思っていたのですが、意外に「なぜ辞めたの」と強く突っ込まれることはありませんでした。

むしろ、教員として生徒退職と学び、一緒に過ごすことで培われたコミニケーション能力を高く発揮され、人事部門に採用され、今では新入社員研修や、彼らが働きやすい環境になるように取り組み、心のケアを行っています。

当時面接で聞かれたことは、何も特殊なことを聞かれたわけでなく、「当社に来て何がしたいですか?あなたのストロングポイントは?志望動機は?」など、一般的な質疑応答でした。

その時私が強調したのは、「色々な生徒達と真剣に向き合って培われたコミニケーション能力には自信があります。

彼らが笑顔になってくれるために。貴社に入社した際には、持ち前の明るさで、お客様に笑顔を届けます」とアピールしました。

その甲斐あって無事に採用。新しい職場は皆さん、生き生きしてアグレッシブに働いている。

また、従業員一人ひとりの意見も仕事に反映され、やりがいもあり、もちろん、やればやっただけ報酬としてついてきますので、転職して本当に良かったと思います。特に、交友関係も広がり、今では充実した毎日を送っています。

「教員辞めて転職したいけど大変そうだな?」と悩まれている方は、直ぐにでも行動に移した方がが良いです。

あやふやな気持ちで教壇に立っも、生徒達のためにならないし、自分自身のためにもなりません。教員を辞めた理由や、ビジネス経験がなくても、意外に教員歴のある人は重宝されますよ!だから、思い立ったら今すぐにでも行動してください。

 

2、保護者との関係に悩み塾講師に転職

中学校から、塾講師に転職しました。まず、中学校の教員は、思春期の子供達を教育していくので、何かとトラブルが沢山あります。

また、生徒達だけでなく、生徒の親とも付き合っていかなくてはいけません。私自身が中学校の教員をして感じた事は、本当に人間関係が難しかったです。

それは、生徒達と生徒の親との関係性です。逆に教員同士はとても仲が良く色々な問題が出たら協力し合い助けあっていました。

生徒達の行動に、私が悪いと感じ口を挟むと、親が学校に文句を言いにきたりします。それを対応したりするのにも疲れましたね。

勤務体制は、朝7時くらいから17時くらいで年収は、400万くらいでした。部活は、担当してなかったんで、休みはきっちり休んでいたので、そのあたりの不満は特にありませんでした。

面接対策

前職の教員という職を少しでも活かしたいと思ってました。人間関係は嫌でしたが、勉強を教える事は私自身、嫌になった事はありません。教育関係に転職となったら、塾講師が1番ちかいように思え、塾講師に転職を決意しました。

面接時に質問された事は、「何故辞めたのか?今後入社したら、どんな授業をしていきたいか?自分の長所と短所」などを質問されました。

私自身、自分を売り込むポイントとして、やはり教育が好きだったので、こういった授業をしたいとか、授業前に子供達とプライベートの質問や授業の質問時間帯を設けて色々と信頼関係を築いていきたいなど話しました。

転職する時に、1番大切なのは、自分が何をして生きていきたいか?年収、福利厚生、勤務体制、など何に重点を置き会社を探すか?とても、大切な事だと思います。

皆さんも自分はこうだ!というブレない信念を持って頑張ってほしいと思います。

 

3、部活と担任に悩みホテル業界に転職

中学校の英語教師から、ホテル業界に転職しました。わざわざ中高両方の免許を習得したのに辞めたきっかけは、新人でいきなり部活動担任とクラス担任を持ったからです。

私の場合、もともと人手不足な学校に配属されたこともあり、最初から自分一人ですべてこなさなければならず、肉体的にも精神的にもかなり負担が大きかったためです。

年収はおよそ350万円程度で、名目上は週5日40時間となっていますが、実際には土日に部活動担当をしていることから実質週7日勤務しているに等しい状況でした。

この中でも、頼れる先輩や指導してくれる人はおらず、みな自分自身のことをこなすので精一杯だったので、とても助けてくれ、などといえるような状況ではありませんでした。

面接対策

採用時に面接で聞かれたことは、まず教員は体力勝負の仕事であるけれど大丈夫ですか?という質問を真っ先に聞かれたことを覚えています。

採用担当の先生も、教科を教えることや子供たちへの接し方、といったことを聞くのではなかったので、少し驚きました。

そのため、大学時代に運動部にいたことをアピールしながら体力には自信があります、という趣旨の内容を回答したら合格しました。

もちろんすべてがすべて体力さえあれば合格するわけではないとは思いますが、教科の専門的知識や子供たちとの接し方といった面よりも、まず教員という仕事自体を続けられる体力があるかどうかを見られているので、この点を大前提におきつつアピールしていくとよいと思います。

 

4、うつ病を患って政府系金融機関に転職

私は現在、政府系金融機関で事務系の仕事をしています。33歳のときまでは、埼玉県内では名門進学校として知られる公立中学校で、教師として働いていました。

この学校で働くことは、とてもやりがいが感じられていたのですが、体調を崩してしまい退職を余儀なくされました。体調といっても、内臓の病気や怪我ではなく、うつ病を発症したのです。

うつ病の理由として考えられるのは、激務であったことです。毎日の授業の準備だけでなく、陸上部の担当もしていたため、休日は日曜日だけでした。その日曜日さえ、大会があるときは出勤せざるをえません。

おまけに3年生の担任だったため、生徒たちの受験についてプレッシャーを感じてしまい、ついにうつ病を発症し、身体が動かなくなってしまったのです。

結局、医師から診断書を書いてもらい半年間休職しましたが、復帰してもすべての仕事をこなせる自信がなく、退職しました。

この学校での教師同士の人間関係はとても良好で「ゆっくり休んで、体調が戻ったら職場復帰すればいいじゃないか」と多くの教師が言ってくれるほどでしたが、私は去ることにしたのでした。とても残念です。

そして、中学校を退職してから1年後に、忙しくない職場という前提で転職活動をおこない、現在の政府系金融機関での事務職を見つけたわけです。

こちらの人間関係も、円満です。基本的に準公務員的な雰囲気が漂っているためか、公平公正という基本原則でお互いに会話をしたり、接しています。したがって人間関係でストレスを感じたことがありません。

そして、平日は定時で帰宅することができ、土日祝日はしっかり休めるため、体調はすっかり良くなりました。

ちなみに、中学校の教師時代の年収は約520万円で、政府系金融機関に移ってからも同じ水準です。転職後は忙しさがなくなったため、豊かな生活をおくれていると感じています。

面接対策

採用時の面接では、教師時代の職務内容と、うつ病を発症した理由、さらには現在はうつ病は治ったのかを聞かれました。

職務内容と、うつ病を発症した理由については先述のとおり説明し、じっくり休養したためうつ病は治ったことを説明しました。

そして面接では「金融機関は未経験ですが、現在金融機関の業務について本を購入し、しっかり勉強している」ことをPRしました。

また、教師時代の事務的作業についても、規則などをチェックしつつ書類作成をおこなったためミスをしたことはないことをPRしました。

私の几帳面な性格が、金融機関の事務職に適していることをアピールすると面接官たちはうなづいたため、これらのPRが功を奏したのだと思います。

教師から他の仕事へ転職したい人へは、世間の仕事は民間だけではなく、政府系金融機関のような準公務員の立場の仕事もあるため、気負うことなく仕事を探せば、必ず自分の適性にあう仕事に巡り合うことができるとアドバイスしたいと思います。

 

5、第二の人生を求めて大工に転職

初めまして都内在住の40代男性です、私は都内某所にある中学校に2018年6月まで教師として働いていました、教師を辞めたきっかけはもともと40代に入ったら教師を辞めて第2の人生を楽しみたいという思いと違った職業で自身のスキルを上げたいと考えていたので計画していたとおりに実行したという事でした。

なので学校は円満退職でしたので未練等は無く学校側も気持ち良く送り出してくれましたし応援もしてくれました。

次に私が選んだ転職先は大工でした、なぜ大工という職業を選んだのかというと30代半ばくらいから趣味が日曜大工で純粋に物作りが楽しいと感じたからです。

幼かった頃もプラモデルを作ったりする事が好きだったのでもしかしたらそういう物作りがもともと好きだったのかもしれません、とはいえ40代にして大工という職人の世界に飛び込む事は簡単な事ではなくスムーズに転職活動は進みませんでした。

しかし私が知人に大工の仕事をしたくて今必死で転職活動をしているんだよと話をすると知人に大工の知り合いがいてそれなら雇ってもらえるか口を利いてあげるよと言ってくれました。

その後知人が紹介してくれた大工の棟梁から私に連絡が入り一度面接をしたいんだけどという話を頂き面接を受け、知人の紹介という事もあるけど職人の世界では40代はまだまだ若手だからウチで働いてみるか?という採用の返事を頂きました。

こうして無事に大工としての道を歩み出しましたが実際に働いてみるとやはり教師とは違い身体を使う力仕事なので最初の1ヵ月間は筋肉痛になり大変でした。

しかし好きという気持ちのほうが強く住宅を作るという作業工程が楽しく素直に大工に転職して正解だったなと思いました。

同僚の方々も皆さんサッパリとした気持ちの良い性格で困った事や分からない事があると嫌な顔一つせずに教えてくれたり助けてくれたりして本当に良い同僚に恵まれているなと思います。

年収に関しては教師時代は370万円程でしたが、大工での年収は390万円になり多少ですが年収アップしました。

しかしお金よりもやりがいがあり恵まれた環境の会社に転職出来た事のほうが私にとっては一番の報酬ですので、この先も精進して一人前の大工になりたいと思います、以上です。

面接対策

面接で聞かれた事は教師時代の事だったり、なぜ大工になりたいと思ったのかという事でした。

教師時代の事は「何の科目を教えていたの?」と聞かれ、「私は数学を教えていました」とそのまま答えました、すると棟梁が大工も寸法をミリ単位で木材を加工したりするから大工に役立つな!と笑ってくれました。

そして「なぜ教師から大工に転職したいと思ったの?」と聞かれ、私は幼い頃から物作りが好きで30代半ばくらいから趣味が日曜大工で純粋に面白いと思ったからですと答えました。

すると棟梁は「そうか!そういう考えなら分かった!」と言って一言「頑張れよ!」と言ってくれました、。

以上になりますがこれから私みたいに全く違った職業に転職をする人に私からアドバイスをするならば、自身が本当にやりたいと思った仕事には迷わずにチャレンジしたほうが絶対に良いと思います。

年齢が私みたいに40代だから‥とか全く違った職業で経験が無いから無理では‥?とか一切思わないで正面からぶつかって行けば良いと思います。

確かに年齢や経験は転職する際に大きく影響しますが100%無理という事は絶対にありませんので余計な事は考えずにチャレンジしてみて下さい、以上です。

 

6、同僚との人間関係に悩み飲食業界→フリーターへ

公立中学校の教員(数学)から他の教育業界や飲食業界に転職しました。(現在フリーターです。)辞めたきっかけは、やるべき仕事の多さと同僚との人間関係で体調をくずしてしまったことです。

元々、数学が好きで、数学を教える仕事ができたら嬉しいと思って選んだ道でした。

実際に仕事をしてみると授業の時間は仕事の上でごく一部。

道徳や生活、総合的な学習などの授業準備をしなければならなかったり、また、それらも自分のクラスだけでなく違うクラスの先生たちと話し合いながら進めなくてはならなかったりして自分の思いどおりに準備を進めることができなかったりしました。

収入に関しては、不満はあまりありませんでした。

実際に長く働こうと思えば、自動的に昇給していくので、やりがいを持って体調を崩さず続けることができれば、とてもよい仕事だと思います。

面接対策

私の場合は体調を崩して学校にいけない時期があったため、話せる範囲で休んだきっかけや理由を聞かれました。

過ぎてしまったことなので、私は、嘘はつかず正直に答えました。

実際にそうなのですが、その経験をポジティブにとらえているかを話せると良いと思います。

例えば、休んでいる間に自分を見つめ直す時間ができたなど、身体を崩してしまったけれど、その時間は有意義だったことを話すと言いと思います。

どこの面接官も笑顔で聞いてくれました。

私は、転職をする前にワーキングホリデーに行ったためそこでの経験を聞かれることも多かったです。

すぐに仕事を見つけようとせずに、自由な時間を一定期間作るとそこでの経験を面接でも話せるので、ゆっくり気長に就職活動をするのもありだと思います。

 

7、目の前にオープンしたパン屋に転職

私は、中学校の教師をしていました。中学生というと反抗期~思春期真っ只中な上に、いじめという物が最も活発になる時期でもあります。

そんな生徒を束ねるのは本当に骨が折れました。授業中も生徒は、隠そうともせずサボり、中にはゲームを持ち込む者もいました。

保護者もなかなかの曲者揃いで、私の胃はボロボロでした。

特に辛かったのは、部活動でした。私はテニス部の顧問だったのですが、部活時間の延長やら練習試合やら遠征やらで、土日もほとんど部活に費やしていました。

部活が終わってもその日の授業のまとめや、明日の授業の準備など、日々忙しさに走り回っていました。年収も400万円程、8時30分~17時まででしたが、結局授業の準備やら後始末やらで、1時間程度前後しました。

疲れきった日々を過ごしていたある日、近所にパン屋がオープンしました。普段はパン屋なんて滅多にいかないのですが、その日は焼きたてのいい香りに誘われて、パン屋に足を踏み入れました。

そこに貼ってあった、「正社員募集」のお知らせ。

その時自分の第六感が働いたのか、何故か、本当に今でも何故か分からないのですが、「ここで働いてみよう」と思ったのです。もちろん家族にも相談しましたが、それがきっかけで私は今パン屋で働いています。

面接対策

やはりと言うか、何故教師を辞めたのかは聞かれました。教師ということは教員免許をもっているということですから、パン屋での接客など無資格で出来る仕事を選んでも良いのかと、単刀直入に聞かれました。

店長も感じの良い素敵な方だったので、私は包み隠さず全て話しました。勤務が辛かったこと、生徒と保護者がなかなかの曲者だったこと。

時々泣きそうになりながらも、店長は静かに聞いてくれました。私はてっきり「弱い人間だ」と思われたかと心配したのですが、店長は「自分の限界を把握出来る人だ」と前向きに捉えてくれたようで、こんな私を採用して下さいました。

自分のことを隠さず伝えることは、最大のPRなのではないかと思います。

転職するにはすごく勇気がいりますが、それでも私はこの転職にとても感謝しています。

もし転職し、面接で「何故以前の職場を辞めたのか」を聞かれたら、あまり着飾らず、素直に答えるのもいいのではないかと私は思います。

自分の可能性を事前に知っておこう!



意外と自分のスキルを求めている業界ってあります。案件見ておくと気持ちが楽になりますよ。

 

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