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理数系教師意外な民間転職先はコレ!元教師たちの7名の現場の声

今回は理数系教師の民間転職先について、現場で働く方元教師にアンケートを取ってみました。

自分の予測では理数系大学定番の製造メーカーや薬品、化学繊維などに行くかと思いきや、2度目の大きな決断となると「好きなこと」×「できること」をきちんと把握して転職に挑んでいると思いました。

意外な転職先が多かったのでよかったらどうぞ!

 

目次

理科教師の転職先

 

中学理科教師から体操教室の先生に転職

結婚して出産、産前産後休暇取得してから職場復帰しました。小牧市立小牧西中学校と小牧市立応時中学校にて15年間勤務、理科、中学1~3年生担当していました。

第二子出産を考えた時、第一子でも教師と子育ての両立は難しく、正職員で勤務していたので時短で帰宅させて頂いていましたが、学校行事があると保育園延長保育をするとか、義実父母に子供の通院や習い事の送迎を依頼していたので、心苦しくなりました。

転職のきっかけと苦労

理科を教えていましたが、第二子出産を機に教師を退職しました。

 

  • 教えるということは他の職場でも活かすことが出来るのではないか?
  • 主人の給料が安定しているので一度専業主婦になって自分の子育てに集中したい
  • 本当にやりたいことなら時短や派遣でもいいのでは?

 

そんな風に考えました。

第二子妊娠中からインターネットで理数系専用の転職サイトに登録しました。

短時間勤務で帰宅出来ても子供を預けなければ面接に行けないので預け先を確保することが大変でした。クリニックの医療事務を面接した時、「第二子出産後に御社で働くことが出来ないでしょうか?」と面接官に聞きましたが、ウワサで、離職率が高いと聞いたので内定を辞退しました。

第二子出産後に子供二人と市が主催している体操教室に参加したところ、補助講師を探していたので応募しました。

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転職後に感じたこと

教師という仕事を離れたことに正直後悔はありました。

しかし、「自分の子供をきちんと育てることが出来ない母親はいけない。」と思いました。

  • 学生時代や社会人になってから、各種が主催するマラソン大会に何度か参加していたこと
  • 休日は散歩をしていたので、身体を動かすことは大丈夫だとおもったこと
  • 「子供の成長を見守る」補助講師という立場でしたが「教える」ということは教師の経験が活かせると考えました。

未就学児の子供やお母さん達が対象でしたので、言葉使いは優しく丁寧に話す様になったそうです。

フルタイムで働くということではないし、お給料はほんの少しですが、子育てと仕事を両立出来るし、子供や主人、自分自身にもイライラしなくなったので今は良かったです。

 

 

理科教師から運送業者に転職

学生時代、理科が好きで、特に実験の時間はとても好きでした。

浪人留年しないで現役で四年制大学教育学部を卒業して中学校で8年間、中学1~3年生を担当、理科を教えていました。

転職を決めたきっかけ

四年制大学卒業後、新卒入社で教員を経験してきました。

  • 1クラスの人数が多くて授業時間中に全員の質疑応答に答えられないこと
  • 1クラスではなく学年の全クラスを担当することで更に質疑応答が取れない
  • 理科の授業で理解出来る子と理解出来ない子の差が大きく開いてくることが辛かった

このようなことが積み重なってきました。

自分自身は理科は好きですが学校の教師は雑務が多いです。

担当科目以外を教えていればいいわけではなく担任をしているので行事や雑務、部活など、勤務時間以内に終わりません。

残業、家で持ち帰り仕事をするのが普通で結婚して子供が出来た時に家族にも迷惑をかけてしまうのが目に見えていました。

それなら、全く異業種に転職するのも有りだと思い、転職エージェントとハローワークを並行しながら転職活動しました。

会社によっては18時以降や土日祝日に面接をしてくれるところがあるので、なるべくその会社を優先していきました。

転職した会社は2,000人以上の従業員がいる「運送会社」です。男性なので総合職で入社しました。

在籍期間中は1~2度、1~3年間県外の営業所に配属されることがあると面接官が話してくれましたが、それは承知で入社を決めました。

配車手配、乗務員の点呼と業務日報確認、リフト免許取得して荷下ろしをすることもありますが、どれも新鮮で楽しみがあります。

「配車手配」については、教員時代に授業を教えること、生徒達に指示するということが役に立っています。

指示する方が「大人」に変わりましたが、人生の先輩達が多く、友達自身が業務について教えて頂く事が多く、日々感謝しているそうです。

基本土日祝日休みですが、業務次第では出勤します。持ち帰り仕事が無い分、精神的にも人間関係にも良い影響が出てきました。

 

理科の高校非常勤講師からカーディーラーに転職

大学で物理や化学の勉強がしたいので、大学の附属中高校に進学しました。高校時代の成績が良かったので指定校推薦で附属大学の工学部応用化学科に入学しました。

大学卒業後は附属高校の非常勤講師を1年間勤めました。

小中学校採用試験に合格し、春日井市立坂下中学校に正職員として5年間勤務、中学1年生担任、理科を教えていました。

好きな理科を教えることに嬉しさ、喜び、やり甲斐はありました。

転職のきっかけ

非常勤講師の時は授業数によってお給料が変わる、一コマ何円、国民保険、国民年金だったのでお給料は常勤講師や正職員よりもとても少なかったです。

非常勤講師を行いながら単発アルバイトと採用試験の勉強をしていましたが、時間があれば授業の準備や教材作りを出来るので、非常勤講師という立場でも、もしかしたら、正職員よりも楽しく充実した時間だったかもしれません

憧れの正職員として働き始めてお給料も増えて、各種保険や福利厚生も充実してきましたが、それ以上に仕事量が多く精神面や体力面が疲弊してきました。

教師を務めながらインターネットで転職サイトに登録しました。

冬休みにも面接、3学期のテスト期間中に早上がり、春休みに面接をして頂き時間確保が大変でした。

転職の後の感想

子供の頃、父がディーラーに行くと一緒に行きました。車を何となく見ているのも楽しいですが、スタッフさんがお菓子やおもちゃをくれるのが嬉しかったです。

その時のスタッフさんの対応が良かったこと、社会人になって車に乗る機会が増えて、子供の頃車に興味を持ったこと、教員で経験した「教える」ことは、お客様に丁寧にわかりやすく説明することに、とても役だっています。

土日祝日も出勤なので平日と定休日が休日ですが、お給料は教員よりも少し下がりましたが、残業代と販売手当ては出ます。

精神面も体力面も元気になりましたので転職して良かったです。

「何事も経験」だと思いました。民間企業は元教員が沢山活躍していますよ、あなたの経験が役立ちます。

高校の物理教師から大手電機メーカーに転職

私は5年前まで、中央大学附属高等学校にて物理の教師をしていました。勤めていた年数は5年くらいでしょうか。

中央大学の附属校ということもあり、生徒の学力が高く高校生としてはレベルの高い授業をしていたと思います。私が主に教えていたのは2年生と3年生です。物理の教師をしていましたが、私の得意分野は電気工学と天文学でした。

 

転職のきっかけ

私が転職を決断した理由は、教師に飽きたという表現は言葉が悪いですが、これまで、子どもたちに私の知識を教えて子どもたちを立派に成長させて世間に通用する人物に育て上げることに生き甲斐を感じていました。

しかし、それでは、自分が犠牲になってばかりいると考えるようになったのです。そろそろ、自分のために生きて、自分が活躍できる職場を目指したいと考えました。

幸いにも、私は学校の教科書のみの知識ではなく、常にインターネットで調査して、最新の技術動向などについても調べて知識を持っていました。

これなら、民間企業でも受け入れてもらえると思ったのです。私の転職へのモチベーションにつながったのは、私が夢を持って働ける職場に出会うことと、収入が上がるのではないかと思ったことです。

転職後の感想

結論から言うと、教師という職業から、民間の企業に転職して年収は上がりました。教師をしていた時は年収は470万円ほどでしたが、民間企業に勤めるようになってからは年収が800万円になりました。

ただし、転職してすぐに高年収だったわけではありません。転職直後の年収は600万円程度でしたが、民間企業では能力評価精度が導入されているので、半期ごとに自分をアピールできる場が設けられ、そこで成功すると収入が跳ね上がるのです。

能力評価精度では、自分がどんな成果を出したのかをアピールするのですが、小さな成果でも大げさにアピールすることでインパクトがあるようです。私は、民間企業では、プレゼンテーションスキルが大切なんだなと実感しました。

 

数学教師の転職先

 

私立常勤の数学教師からプログラマーに転職

岩手県在住のチャカアキといいます。去年まで私立高校で常勤講師として勤務をしていました。主に数学の授業を担当し、部活動も運動部をいくつか持っていました。

その私立高校で働くまでに中学校なども何校か勤務してきましたが、この学校での勤務が最も長い期間となりました。というのも、この学校では正採用を見据えた雇用であったため、このまま続けていれば定年までいられるといったところでした。

転職のきっかけ

一番の理由は労働時間の長さ、自分の時間のなさ。これに尽きると思います。

まずその私立高校に赴任した直後に有無を言わさずに忙しい部活動を待つことになり、土日に休みがあるのは月に2回あれば良い方でした。

ひどい時は毎週のように泊まりがけの遠征で仕事といったこともありました。そしてそれだけでなく学校での雑務も多く、その上周りの先生のフォローも全くと言って良いほどなかったため、転職を決意しました。

正直教員を志す上で忙しくなることは承知の上でしたので、自分の時間がとれないのはしょうがないことであると割り切るようにしていましたが、まさかここまでとは思いませんでしたし、そして周りの環境もここまで劣悪であるとは思いませんでした。

 

現在は大学時代にお世話になっま先生のツテで組み込み系のプログラマーとして働いています。具体的には機械関係の制御プログラムなどを組んでいます。

勤務形態としては土日祝休みで、残業もこれまでほぼしたことがありません。そういった面ではとても良くなったと思っています。

教員時代の経験はほぼつながりはなかったですが、大学時代にプログラミングを専攻していたことが一番転職で役に立ったと思っています。

学校以外で仕事をするのはこれが始めてとなりましたが、一般の企業と学校では職場の空気からして違うなと思いました。

学校現場では常に忙しい空気がありましたが、現在いる会社は余裕を持った経営ができているためなのか、穏やかな時間が流れているように感じます。

 

小学校の数学教師から特別支援学校⇒プログラマーへ転職

私は、北海道で11年小学校教師をしていました。その前には7年くらい東京でアナログの電子回路の設計をしていました。

今は骨董品になっているブラウン管のコンピュータディスプレイです。
パソコンは仕様書作りなどで使用していました。

プログラミング系は、第一種情報処理技術者を21の歳で取得しました。
アセンブラとCで受験し、一発合格でした。

小学校を辞めてからは、ICT企業、障害者福祉にたずさわり、またまた教育業界に期限付き教諭として戻り、6年間で特別支援学校教諭、高校情報、数学の免許をとり、特別支援学校では情報、数学を教えていました。

 

期限付きの教師としての最後の職場は、北海道の小学校でした。

正教員でいたときに、障害児の担任を長くしたこともあり、サービス管理責任者・就労という資格を得ていました。最後の職場でも、特別支援学級の担任でした。障害児を相手にするということは、それなりにストレスを抱えます。

その子どもたちが、どういう行動にでるのか、慣れないとわかりません。

しかし、その職場では、あまり堅苦しいことを考えると、自分自身がつぶされてしまうと判断して、子どもたちと思い切り遊び、朝には必ず子どもの笑いをとろうと、ギャクやらボケネタ、自虐ギャクを考えて、子どもを笑かして楽しんでいました。こうするとなにか不真面目な先生のように思われるかもしれません。

しかし、だれもが一度は通った子供時代。せめて、楽しく過ごしたいものです。そんなことをしているうちに、子どもはしっかりとついてくるものです。

私はよく、子どもを傷つけない程度に、教室でプロレスごっこをしていました。勢いあまって、廊下で悪ふざけをしている子どもを捕まえてプロレスごっこをしたこともあります。

通りすがりの他の先生は、シラッとした目でとおりすぎました。

私の得意技はごっこ遊びだったのですが、授業中、騒いで授業にならないときには究極の文句「勉強もしてくれないと、もう遊んでやらないからな。」でした。

そうしたら必死になって学習に取り組むのです。子どもって純粋だなと思います。

転職のきっかけ

転職ということですが、長らく小学校でも、高校でも、特別支援学校でも教育現場にいたいという願望はありました。

小学校であればプログラミング教育がそろそろ始まりそうで、私の経験から大いに貢献できると思っていました。しかし、子どもの数も減り、それに伴い学級減の状況になつたということで、期限付きの私は期限がきたということで退職となりました。

その後、2019 4月から10月まで、野菜の収穫作業をしていました。ジャガイモ、長ネギ、ブロッコリーと3社を転々としていました。

仕事自体は楽しいこともあったのですが、どうもほかの人よりも体力不足で効率はあがらないとされ、長続きはしませんでした。

大手の飲食業もやりましたが、大手というのは「ブラック」だなという印象で、やはり長続きはしませんでした。

転職後の感想

2019年12月末に、ハローワークで見かけたのは前にしていた「障害者就労支援」の仕事でした。最初は責任が重たくないような生活支援員の業務を考えていたのですがサビカン(サービス管理責任者)の資格があることから、サビカンに据えられました。

北海道の公立学校は期限付きでも、それまでの社会経験が考慮されて給与がきまります。

私は50オーバーなので賞与含めて年収は手取り600はあったかと思います。かなり好待遇ですがストレス過多な仕事なので用心しないと病気になります。

障害者就労支援も同じようなことが言えます。

用心しないと自分が「精神障害者」になります。

若いころに勉強した教育カウンセリングが役立ったと思います。

この職場では、パニックを起こすような人が割合的に多かったので、たいへん苦労しました

結局やめてしまいましたが、一番の理由は経営トップと考えの差異があったからです。

私を退職に追い込む際、近くにあった緑の布巾をつかみ、「これが俺が赤と言ったら赤なんだ。それがそしきというものだ。」と他にも職員がいる中で言ってきました。

もう、こんなブラックとはやっていけないと辞めることにしました。

民間でも公的な職場でも、理不尽なことは、それなりに行われていると思います。

ある程度の我慢は必要でしょうが、メンタルやられそうになったら違うところを検討していいと思います。

現在はプログラミング関係の仕事に就き、マイペースで仕事ができています。

 

理数系教師にオススメの専門転職サイト

今は理系専門の転職サイトが登場し、大手メーカーや、総合職で資格取得者を対象に優遇的な転職活動が行われています。

今回はその中でも一風変わった転職サイトを紹介します。今回の事例では多様性が見られましたたが、有利に進められるのは以下のようなメーカーです。

  • 理系メーカーの大手総合職
  • 建築・不動産の技術寄りの総合職
  • 塾の理数系・私立学校の情報教育
  • プログラマー・エンジニア・技術系インストラクター

 

やっぱり資格や経験を評価してもらった方が初年度の年収が高い傾向にあります。社内旅行や業界ごとのイベント・先輩との法人営業など学ぶべきことは沢山ですが、忙しい教職を乗り切れた人なら対応できるはずです。

というか民間企業の方が待遇も時間も恵まれていることが多々あります。

 

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